大判例

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東京高等裁判所 昭和56年(う)2047号 判決

本件押収、逮捕に至る経緯として、次のような事実が認められる。

一 昭和五六年五月一三日午後八時五〇分ころ、警視庁築地警察署防犯保安第二係警部補三浦昭義、巡査部長新井武夫、同森戸力男、同森部勝義、巡査馬場弘文の五名の私服警察官は、被疑者館山和弘に対する覚せい剤取締法違反(鎌田とおるに対する譲渡)の容疑につき、東京簡易裁判所裁判官の発付した捜索差押許可状に基づき、東京都板橋区坂下二丁目一四番一六号栄荘二階八号の館山の居室の捜索を開始した。

二 捜索を開始して約四〇分経過した午後九時三〇分ころ、館山方のドアをノツクする者があつたので、三浦警部補は森戸部長、馬場巡査の両名にドアを開けて中へ入れるよう指示した。

訪ねて来たのは被告人であり、六畳一間の館山方に同人を含め六名の男が居る様子を見て、「なんだ人が居たのか、じや後で来るよ。」と言つたが、森戸部長「用事があつて来たのなら、中に入れ。」と促されて室内に入り、六畳間の奥のベツトに腰を掛けた。

三 当時、館山方の捜索はなお継続中であつた(それまでに注射器とビニールパケを発見していた。)が、被告人が覚せい剤取引容疑のある館山方を訪ねて来たものであるうえ、頬がこけ、眼がうるんでギラギラ光り、唇が乾き切つている様子や、態度がそわそわして落着かないことから、覚せい剤常用者の疑いもあつたので、館山方は覚せい剤容疑で現在捜索中であることを告げたうえ、主として新井、森戸両部長に時折三浦警部補も加わつて、被告人に住所、氏名、訪問の用件等を交々職務質問し、差し支えなければ所持品を見せて欲しいと求めたが、被告人は「答える必要はない。」の一点張りであつた。

四 被告人は、ベツトから立上つて「名前を答える必要ない。」と大声を出すようなことはあつたが、敢えて部屋から出て行こうとする素振りは見せなかつた。また、氏名等を問われると、そわそわして「弁護士に電話させてくれ。」と申し立てたが、館山の居室には電話器がなく、外に出なければならないので、「まあ電話はさせるが、とにかく先に名前と訪ねて来た用件を教えてくれ。」と説得されると、それ以上固執しなかつた。そうこうするうち、入つて来て一五分位経つた午後九時四五分ころ、三浦警部補が「君の身元は誰に訊けば分かるか。」と訊ねたのに対し、「俺のことは志村署のマル暴(暴力犯係)訊けば分かる。」と言い出したので、何も分からないでは訊き様がないと言うと、「斉藤と言えば分かる。」と初めて氏名を口にした。そこで、「志村署の人を呼ぶまで待つてくれるか。」と言うと、被告人はこれに同意した。このころ、被告人と館山は互いに気まずそうな視線を交わしていたので、三浦警部補は森戸部長と馬場巡査に、午後九時五〇分ころ、館山を室外に連れ出させた。

五 午後一〇時一〇分ないし一五分ころ、志村署から丸橋刑事他二名が到着した。被告人は入つて来た丸橋刑事と面識ある様子で、同人に「私は関係ないから刑事さん助けて下さいよ。」と声を掛けたが、同刑事は被告人と視線を合わせたのち、無言のまま室外に出た。そこで、三浦警部補がこれを追つて室外に出、どういう男か訊ねると、「あれは地元のやくざ者で、今年の春大崎署で覚せい剤で捕まり、出て来たばかりの男で、斉藤ではなく、小村という者だ」と教えてくれた。

六 三浦警部補は、部屋に戻ると、右側に新井部長、左側に森戸部長に挟まれて、三人並んでベツトに腰かけていた被告人の前に立ち、被告人の肩を二、三回叩いて「斉藤と言つていたが、お前小村じやないか。何を出鱈目言つたんだ。」と言うと、被告人は「名前が分かつちやつたら仕様がないや。」と言つて、左手に持つていた週刊誌を二つ折りにして間に紙袋二つを挿んでいたものを「勝手に見ろ。」とベツトの前の炬燵の上に抛り出した。

七 一つの紙袋には、チヨコレートとガムが入つているだけであつたが、もう一つの紙袋(前押号の符号8)には、小鋏(符号7)と注射器ケース(符号6)が入つており、右注射器ケースには、新品の注射針五本(符号5)と注射筒一本(符号4)とが入つていた。

右注射筒につき「これは何だ。」と訊ねると、被告人は「ポンプだよ。」と覚せい剤関係者の用いる陰語で答えたので、他の所持品を見せろと言うと、ベツトから立ち上つてズボンの右後ポケツトから二つ折りの財布(符号3)を出し、新井部長に手渡した。開披して見ると、名剌入れのような部分に慰斗と水引の模様を印刷した小型の祝儀袋(符号2)が入つていた。袋はホチキスで封をしてあつたが外側から触れるとザラザラした感触があつたので、新井部長は、森戸部長に目配せをしてから、被告人に「じやあ開けるから」と言うと、被告人は、無言のまま、勝手にしろという態度を示した。

八 そこで、新井部長は、森戸部長に祝儀袋の下端を持たせ、両手でホチキスを外して開けて見ると、無色結晶入りのビニール・パケ二袋(符号1)が入つていた。被告人に訊ねると、覚せい剤である旨申し立てたので、試薬により予試験をしたところ青藍色を呈し、陽性反応が見られたため、午後一〇時二五分、被告人を覚せい剤所持の現行犯人として逮捕し、逮捕の現場において被告人の身体及び所持品の捜索を実施したところ、ズボン右後ポケツトからアドレス帳一冊(昭和五六年東地領第二七〇四号の符号4)及びこれに挿んだメモ紙一葉(同符号5)を発見し、これを差押えた。捜索差押の終了は午後一〇時四〇分である。なお、被告人の身体の捜索は、現行犯逮捕の後であり、上衣を脱がせて、それを着せた後、ズボンを脱がせるというように手順よく実施したので、パンツ一枚にするようなことはしていない。

以上のような事実が認められ、被告人の原審及び当審公判廷における供述中右認定と牴触する部分(論旨①ないし⑦参照。)は、他の証拠と対比して見て、にわかに措信し難い。

弁護人は、被告人は、本件覚せい剤入りの祝儀袋や注射器等の入つた紙袋を、館山の居住するアパートの入口で拾得し、交番に届けようとして所持していたに過ぎないとは言え、覚せい剤を所持して覚せい剤事犯の捜索現場に踏み込んでしまつたものであるから、誤解を招くおそれのあることは必定であり、五五分間にも亘つて任意にそのような場所に留まる筈がないと主張する。

たしかに、被告人は、館山に対する覚せい剤取締法違反事件についての捜索中であることを告知された時点において自己の立場の不利を悟り、その場を立ち去りたいと考え、そのことを口に出したであろうことは容易に首肯できるところである。

しかしながら、前示三のとおり、被告人については、その異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して、警察官職務執行法二条一項所定の要件に合致することが充分に窺えるところであるから、警察官としては、保安警察の立場から、たとえ被告人が帰りたいとの意向を表明したとしても、直ちにこれに応ずることなく、強制に亘らない限度において、その住所氏名、訪問目的を明らかにし、あるいは所持品を開披した後にして欲しいと、その任意の協力を要請し、説得工作を試みることが一切許されないものとは解されない。もとより、その要請が過度に長時間に亘り、任意に要請に応じない限りは退去を認めないというようなことであれば、それは任意の名を藉りた強制と言い得ようが、本件においては、新井部長も証言しているように、「帰る」と言われたら帰すより仕方がないという考えで説得に臨んでいたものであり、約一五分間のやりとりの後、被告人自ら斉藤と名乗り、その身元については志村署の暴力犯係に訊けば分かると申し述べ、かつ、志村署から人が来るまで持つことを応諾しているのであるから、丸橋刑事が到着するまでの被告人の滞留は、違法な強制によるものとは認められない。

弁護人は、この点に関し、被告人としては、自己の前科前歴を知つている所轄署の刑事を呼ぶのは自殺行為にもひとしい愚挙であるから、そのような事実は有り得べくもないと主張する。しかし、築地署の刑事である三浦警部補以下は、被告人が志村署管内に居住する者であることすら知らなかつたのであるから、被告人の申立てなしに志村署の刑事を呼ぶことは考えられない。たしかに、丸橋刑事が被告人の身元を確認した後、被告人の立場が不利になり、観念して所持品検査に応ずるような経過を辿つているが、被告人としては、当初からそのような結果になることを予測して申し立てたものとは思われない。被告人は、築地署の刑事とのやり取りから、訪問の用件などにつき合理的な説明もしないでその場を立ち去る機会を見出すのに苦慮していたのであるから、せめて顔見知りの志村署の刑事でも来てくれれば、あるいは気を利かせて助けてくれるかも知れないことに、一縷の望みを託して、右のような申立をしたものと考えられ、そのことは、被告人が、前記五の如く、丸橋刑事に「助けて下さいよ。」と声を掛けていることからも窺われるのである。丸橋刑事が被告人のあわよくばとの希望に沿うような行動に出ず、却つて現行犯逮捕につながるような結果に終つたことは、被告人の目算違いにほかならず、その結果から推して、自殺行為にひとしい愚挙というのは、弁護人の独自の推論である。

そして、丸橋刑事によつて身元が確認された後、被告人は、これまでと観念して週刊誌と紙袋を任意に提出し、注射器が発見されたことから、覚せい剤入りの祝儀袋の入つた財布も任意提出するに至つたものである。

以上によれば、被告人が館山方を訪れてからその所持品を任意に提出するまでの間における三浦警部補以下の行動は、警察官職務執行法二条一項に基づく適法な職務質問及びこれに伴う所持品検査の簡囲を逸脱するものではなく、これに引き続く押収手続及び現行犯人逮捕手続に所論の違法は認められない。従つて、違法に収集された証拠能力のない証拠を罪証の用に供したとの論旨はその前提を欠き、理由がない。

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